COMPANY

1960年代



1960年
9月21日
金田正一投手、対広島21回戦(広島)で通算3,000奪三振を達成。
9月30日
金田正一投手、対中日25回戦(後楽園)で勝利投手となって10年連続20勝を達成。

金田が10年連続20勝も7年ぶり最下位に
4年連続4位からの浮上を目指し、立教大からエースの森滝義巳とベストナイン外野手の小西秀朗を獲得。さらに、かつて立教大監督として長嶋茂雄(巨人)らを育て上げた砂押邦信をコーチとして招聘し、球団創設10周年のシーズンに臨んだ。

開幕3連戦は巨人に3タテを喫したが、直後に4連勝するなど4月を勝ち越しで終えると、5月8日のダブルヘッダーで巨人を連破して2位に進出。5月21日からの対巨人3連戦も勝ち越して、この年初めての首位に躍り出た。

ところがその後の12試合に2勝10敗と大きく負け越し、一気に最下位に転落。6月後半に4連勝、7月初旬には5連勝するなどAクラス争いに食らいついたが、8月に6勝13敗1分けと負け越すと、9月初めには再び最下位に。その後はズルズルと負けを重ね、1953年以来の6位でシーズンを終えた。

エースの金田正一は5月22日に早々と2ケタ勝利に到達したものの、その後はなかなか勝ち星が伸びずに苦しんだ。9月21日には史上初の通算3000奪三振を達成したが、この時点でまだ18勝。それでも9月29日の中日戦でようやく19勝目を挙げると、翌30日の同カードではチームが2対0とリードした5回途中からマウンドに上がり、なんとか10年連続20勝の大記録を成し遂げた。

投手陣で光ったのは村田元一の健闘。前年は惜しくも2ケタ勝利に届かなかったものの、この年はコンスタントに白星を重ね、チーム最多の58試合に登板して18勝16敗、リーグ8位の防御率2.52をマークした。この年は金田の実弟・星雄が入団し、58年に入団していた高義と合せ「金田3兄弟」が揃ったことでも話題となったが、一軍のマウンドに上がったのは長兄の正一だけだった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
大洋ホエールズ
130
70
56
4
.554
2
読売ジャイアンツ
130
66
61
3
.519
4.5
3
大阪タイガース
130
64
62
4
.508
6.0
4
広島カープ
130
62
61
7
.504
6.5
5
中日ドラゴンズ
130
63
67
0
.485
9.0
6
国鉄スワローズ
130
54
72
4
.431
16.0

主なラインナップ(監督:宇野光雄)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (中)
佐藤孝夫
29
.280
14
47
2 (遊)
土居章助
23
.219
4
15
3 (二)
箱田淳
28
.256
16
57
4 (一)
飯田徳治
36
.272
7
40
5 (右)
町田行彦
26
.238
10
40
6 (左)
岩下守道
29
.244
7
31
7 (三)
西岡清吉
23
.209
1
9
8 (捕)
根来広光
24
.192
4
18
9 (投)
※先発投手
平岩次男
24
.238
1
8
平井嘉明
26
.191
0
5
松田清
30
.264
1
20
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
金田正一
27
57
20-22
2.58
村田元一
22
58
18-16
2.52
巽一
24
55
8-13
3.62
北川芳男
28
37
4-7
2.62
田所善治郎
26
35
3-4
4.44
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
最多奪三振
金田正一


1961年
5月9日
佐藤孝夫外野手、対中日3回戦(金沢)で1,000試合出場達成。
6月20日
森滝義巳投手、対中日10回戦(後楽園)完全試合を達成(プロ7人目)
7月26日
町田行彦外野手、対大洋19回戦(後楽園)で1,000試合出場を達成。
10月
球団結成以来初めて3位のAクラス入り(130試合67勝60敗3分、勝率.527)

2ケタ勝利カルテットで初のAクラス!
最下位の責任を取って退陣した宇野光雄前監督に代わって砂押邦信コーチが新監督に就任し、飯田徳治を兼任コーチ、金田正一を主将に任命して心機一転。戦力としては他球団との争奪戦の末に東京六大学のスター選手、徳武定之(早稲田大)と杉本公孝(立教大)を獲得し、さらに巨人の正二塁手だった土屋正孝も加えるなど、課題の守備力強化を図った。

開幕2戦目から5連敗を喫するなど、その船出は決して芳しいものではなかったが、4月23日の対巨人ダブルヘッダー第2試合から7連勝して一気に首位に浮上。5月半ば、6月初旬と1位から滑り落ちるたびに6連勝して息を吹き返し、7月上旬までトップを走った。

後半戦は3位が定位置になっていたが、8月25日の時点で首位・中日との差はわずか1.5ゲーム。その後も巨人、中日と三つ巴の争いを繰り広げたものの、9月24日の巨人とのダブルヘッダーに連敗して、初優勝の望みを断たれた。それでも最終的に67勝60敗3分けと球団創設12年目で初めて勝ち越しでシーズンを終え、初のAクラス入りを果たした。

7月1日まで15勝1敗と圧倒的な成績を残していた金田は、そこから11連敗と苦しみながら、9月26日の広島戦で11年連続の20勝に到達。3年目の北川芳男は15勝15敗、リーグ2位の防御率1.90と、前年の不振を払拭してみせた。村田元一は14勝、6月20日の中日戦で史上7人目の完全試合を達成した森滝義巳も10勝で球団史上初の「2ケタ勝利カルテット」が誕生するなど、チーム防御率はリーグトップの2.29を誇った。

打線ではルーキーの徳武が主に四番で全試合フルイニング出場を果たし、チームトップの62打点を叩き出したものの、2ケタ本塁打は11本の佐藤孝夫のみと迫力に欠けた。その一方で飯田、土屋、徳武、杉本で形成された鉄壁の内野陣を中心にリーグ随一の120併殺を記録するなど、堅い守りで投手陣を盛り立てたのが大きかった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
71
53
6
.569
2
中日ドラゴンズ
130
72
56
2
.562
1.0
3
国鉄スワローズ
130
67
60
3
.527
5.5
4
阪神タイガース
130
60
67
3
.473
12.5
5
広島カープ
130
58
67
5
.465
13.5
6
大洋ホエールズ
130
50
75
5
.404
21.5

主なラインナップ(監督:砂押邦信)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (中)
佐藤孝夫
30
.211
11
36
2 (遊)
杉本公孝
23
.240
4
20
3 (二)
土屋正孝
26
.269
5
39
4 (三)
徳武定之
23
.255
9
62
5 (右)
町田行彦
27
.240
6
39
6 (一)
飯田徳治
37
.230
8
51
7 (左)
鈴木秀幸
28
.208
2
9
8 (捕)
根来広光
25
.221
4
30
9 (投)
※先発投手
平岩嗣朗
25
.222
2
4
平井嘉明
27
.263
0
4
小西秀朗
24
.188
1
14
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
金田正一
28
57
20-16
2.12
北川芳男
29
49
15-15
1.90
村田元一
23
43
14-13
2.31
森滝義巳
23
38
10-8
2.30
巽一
25
40
8-5
3.08
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
ベストナイン(二塁手)
土屋正孝(初)

1962年
11月
国鉄スワローズは東映フライヤーズと韓国へ遠征し親善試合を行なう。

金田が奪三振“世界新記録"を樹立
砂押体制2年目を迎えて前年の3位からさらなる飛躍を目指し、開幕の大洋戦を金田正一の投打にわたる活躍でモノにする幸先のいいスタートを切った。だが、結果的にこのシーズンで首位に立ったのは、これが最初で最後だった。翌日から5連敗を喫すると、その後も思うように勝ち星を伸ばせず、4月末の時点で最下位に沈んでいた。

それでもノンプロの日本通運から入団した渋谷誠司が、5月18日の時点で金田に並ぶ5勝目を挙げるなどの活躍を見せ、5月末には4位まで浮上した。7月12日の対阪神ダブルヘッダー第2試合では村田元一が9回2死まで完全試合を続け、1対0の完封勝ち。しかし、14日から5連敗を喫して前半戦を5位で折り返すと、8月初めにはついに最下位に転落。その後は息を吹き返すことなく、そのまま2年ぶりの最下位でシーズンを終えた。

低迷の最大の要因は、2リーグ制後のワースト記録を塗り替えるチーム打率.201という歴史的な貧打にあった。最高は打率.244でリーグ20位の徳武定之で、後は土屋正孝が.213(27位)、立教大から入団したルーキーの丸山完二が.210(28位)で30傑に入っただけ。本塁打も14本の徳武以外に2ケタ本塁打が皆無とあっては、とても投手陣を援護することはできなかった。

そんな中で新たな金字塔を打ち立てたのが、エースの金田だった。9月2日の巨人戦で8つの三振を奪ってウォルター・ジョンソンの持つ当時のメジャーリーグ記録、3508奪三振に並ぶと、中2日で登板した5日の同カードで坂崎一彦を空振り三振に仕留め、ついに“世界新記録”。9月15日には、自身の記録を更新する12年連続20勝も達成した。

この年の金田は投げるだけではなかった。打率こそ.170にとどまったが、6本塁打は自己最多にして、チーム3位タイの数字だった。そのほかの投手では村田が3年連続4度目の2ケタ勝利となる12勝を挙げたものの、北川芳男は惜しくも2ケタに届かず、ルーキーの渋谷も6勝止まりだった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
阪神タイガース
133
75
55
3
.577
2
大洋ホエールズ
134
71
59
4
.546
4.0
3
中日ドラゴンズ
133
70
60
3
.538
5.0
4
読売ジャイアンツ
134
67
63
4
.515
8.0
5
広島カープ
134
56
74
4
.431
19.0
6
国鉄スワローズ
134
51
79
4
.392
24.0

主なラインナップ(監督:砂押邦信)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (中)
丸山完二
22
.210
1
23
2 (一)
星山晋徳
24
.207
5
28
3 (二)
土屋正孝
27
.213
8
34
4 (三)
徳武定之
24
.244
14
54
5 (左)
佐藤孝夫
31
.204
6
21
6 (右)
町田行彦
28
.194
3
25
7 (遊)
杉本公孝
24
.185
3
12
8 (捕)
根来広光
26
.201
5
19
9 (投)
※先発投手
平岩嗣朗
26
.157
1
5
平井嘉明
28
.204
0
4
鵜飼勝美
30
.235
1
17
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
金田正一
29
48
22-17
1.73
村田元一
24
40
12-16
2.36
北川芳男
30
37
9-10
2.21
渋谷誠司
23
42
6-8
3.05
鈴木皖武
21
41
1-6
3.86
  • 年齢は満年齢


表彰選手
該当者なし

1963年
5月8日
金田正一投手、対大洋5回戦(後楽園)で通算300勝を達成(プロ5人目)
8月1日
豊田泰光内野手、対広島15回戦(広島)で200号本塁打を達成。
9月1日
佐藤孝夫外野手、対阪神20回戦(甲子園)で150号本塁打を達成。

豊田、宮本らを加え4位に浮上
61歳の浜崎真二が新監督となり、前年まで監督だった砂押邦信がヘッドコーチとしてこれを支える新体制に。2ケタ勝利2回の北川芳男を放出して巨人から打点王2回の宮本敏雄らを獲得し、西鉄黄金期の主力だった豊田泰光も金銭トレードで補強。さらには現役時代に「ミスター・タイガース」の異名を取った藤村富美男を打撃コーチに迎えるなど、前年の最下位の元凶となった打線の大幅なテコ入れを図った。

その甲斐あって、チーム打率は前年の.201(6位)から.241(4位)、1試合平均得点は2.3点から3.4点にアップ。豊田が開幕から四番に座ってリーグ9位の打率.292、チームでは6年ぶりの20本塁打を記録すれば、宮本も主に五番で11本塁打と、移籍組の活躍が光った。生え抜きでは、徳武定之が入団以来3年連続で全試合出場を果たし、初のオールスターにも選出。自己最多の14本塁打に加え、球団史上2人目の打率3割もマークした。

だが、この年もチームを牽引したのはエースの金田正一だった。自身、開幕3連敗という苦しいスタートながら、4月27日にようやく初勝利を挙げると、そこから8連勝。5月8日の大洋戦で通算300勝を達成すると、6月30日の広島戦では別所毅彦の日本記録を更新する311勝目をマークするなど、前半戦だけで22勝と勝ちまくった。

ところが、後半戦に入ってその金田がなかなか勝てなくなると、前半戦終了時には3位だったチームも失速。8月末には5位まで転落したものの、9月、10月と粘り強い戦いを見せて最後は4位に浮上した。目標のAクラスには届かなかったが、それでも前年の最下位から脱出。巨人には16勝12敗と勝ち越して、もう1つの目標だった「巨人叩き」に成功した。

金田は8月の不振から脱却し、2度目のシーズン30勝で5年ぶりの最多勝を獲得。287三振を奪って、9度目の最多奪三振のタイトルも手にした。2年目の渋谷誠司が前年の6勝から14勝と大きく飛躍し、村田元一も4年連続の2ケタ勝利となる13勝を挙げたが、この3人に続く投手がいなかった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
140
83
55
2
.601
2
中日ドラゴンズ
140
80
57
3
.584
2.5
3
阪神タイガース
140
69
70
1
.496
14.5
4
国鉄スワローズ
140
65
73
2
.471
18.0
5
大洋ホエールズ
140
59
79
2
.428
24.0
6
広島カープ
140
58
80
2
.420
25.0

主なラインナップ(監督:浜崎真二)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (中)
丸山完二
23
.246
3
32
2 (左)
高林恒夫
25
.222
3
26
3 (三)
徳武定之
25
.300
14
64
4 (遊)
豊田泰光
28
.292
20
70
5 (右)
宮本敏雄
30
.252
11
47
6 (二)
土屋正孝
28
.260
9
47
7 (一)
星山晋徳
25
.228
12
34
8 (捕)
根来広光
27
.229
5
33
9 (投)
※先発投手
飯田徳治
39
.209
1
14
町田行彦
29
.230
5
31
佐藤孝夫
32
.197
4
7
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
金田正一
30
53
30-17
1.98
渋谷誠司
24
57
14-17
3.13
村田元一
25
40
13-14
3.56
鈴木皖武
22
48
3-9
4.42
田所善治郎
29
35
3-2
3.50
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
最多勝利
金田正一
最多奪三振
金田正一
ベストナイン(投手)
金田正一(3回)


1964年
4月26日
土屋正孝内野手、対巨人10回戦(東京)で1,000試合出場を達成。
7月1日
豊田泰光内野手、対中日17回戦(中日)で1,500試合出場を達成。
7月16日
金田正一投手、対大洋20回戦(神宮)で4,000奪三振を達成。
7月29日
豊田泰光内野手、対大洋22回戦(川崎)で通算1,500安打を達成。
7月30日
金田正一投手、対大洋23回戦(川崎)で完封勝利を収め、14年連続20勝を達成。
8月15日
金田正一投手、対広島23回戦(東京)で350勝を達成。
9月6日
宮本敏雄外野手、対広島27回戦(東京)で1,000試合出場を達成。

14年連続20勝の金田が退団
浜崎真二前監督が1年で退任し、近鉄でコーチや代理監督を務めた林義一が新監督に就任。前年までの後楽園に代わり、神宮球場をホームグラウンドに新たなスタートを切った。この年は10月に東京オリンピック開催を控えており、3月20日という異例の早期開幕となったが、国鉄はいきなり巨人に開幕3連敗。26日からの4連勝で巻き返し、4月下旬には3位に浮上したが、その後はBクラスに終始した。

エースの金田正一は最多勝こそ優勝した阪神のバッキーに譲ったものの、8月15日には通算350勝に到達するなど、27勝を挙げて前人未到の14連連続20勝を達成。231三振を奪って10度目の最多奪三振に輝き、当時はメジャーリーグでも前例のなかった通算4000奪三振も記録した。打っては打率.237、3本塁打で、通算36本塁打(代打本塁打を含む)は投手としての日本新記録となった。

しかし、前年14勝した渋谷誠司が精彩を欠き、前年まで4年連続2ケタ勝利の村田元一は故障に泣くなど“準エース”が期待に応えられず、チーム防御率3.43はリーグ5位。それでも富士鉄室蘭からプロ入りした佐藤進が10勝、鎌倉学園高を卒業した半沢士郎は8勝と、ルーキーが健闘したのは大きな収穫だった。

打線は徳武定之と豊田泰光の三、四番コンビに、中日から移籍の小淵泰輔が加わった。西鉄時代は日本シリーズにも2度出場しながら、中日では出番に恵まれなかった小淵は、新天地で水を得た魚のように活躍。打率.306(リーグ5位)、15本塁打、48打点と、いずれもキャリアハイの成績を残した。また、正捕手の根来広光が4月15~18日にかけて、当時のセ・リーグ記録に並ぶ8打席連続安打をマークしている。

オフには衝撃的な出来事が待っていた。球団が誕生した1950年途中に入団し、投手陣の大黒柱としてチームを牽引してきた金田が、「B級10年選手」の権利を行使して巨人へ移籍。絶対的なエースの退団は、チームが過渡期を迎えていることを感じさせた。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
阪神タイガース
140
80
56
4
.588
2
大洋ホエールズ
140
80
58
2
.580
1.0
3
読売ジャイアンツ
140
71
69
0
.507
11.0
4
広島カープ
140
64
73
3
.467
16.5
5
国鉄スワローズ
140
61
74
5
.452
18.5
6
中日ドラゴンズ
140
57
83
0
.407
25.0

主なラインナップ(監督:林義一)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (左)
高林恒夫
26
.207
4
18
2 (右)
別部捷夫
24
.245
13
45
3 (三)
徳武定之
26
.263
15
65
4 (遊)
豊田泰光
29
.275
24
59
5 (一)
小淵泰輔
29
.306
15
48
6 (二)
杉本公孝
26
.223
10
36
7 (中)
高山忠克
20
.219
18
55
8 (捕)
根来広光
28
.244
5
33
9 (投)
※先発投手
星山晋徳
26
.272
4
28
丸山完二
24
.278
1
9
町田行彦
30
.219
3
7
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
金田正一
31
44
27-12
2.79
佐藤進
22
50
10-13
4.17
半沢士郎
19
34
8-10
3.07
渋谷誠司
25
52
6-13
5.02
森滝義巳
26
44
5-14
2.98
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
最多奪三振
金田正一

1965年
4月23日
国鉄スワローズが経営権をサンケイ新聞とフジテレビに譲渡することを発表。
5月10日
「サンケイスワローズ」として新発足。

新生「サンケイ」は最下位スタート
就任2年目を迎えた林義一監督が掲げた目標はAクラスおよび勝率5割の確保だったが、スタートから苦しい戦いを強いられた。オフに退団した金田正一に代わる新エースとして期待された村田元一の好投空しく、開幕戦を0対1の僅差で落とすと、そこから6連敗。4月16日の大洋戦でようやくシーズン初勝利を挙げたものの、直後に国鉄が球団経営から撤退すると発表された。

4月27日には林監督に代わり、砂押邦信二軍監督が新監督として復帰。5月10日にはサンケイ新聞とフジテレビに球団経営権が譲渡され、新生「サンケイスワローズ」が誕生した。新たな門出を迎えるはずだった11日の阪神戦は雨天中止となり、仕切り直しで行われた翌12日の同カードは2対3の惜敗。15日の大洋戦(宮城)でサンケイ球団として初の白星を手にしたが、チームはその後も低迷が続いた。

6月25日から7月12日にかけては13連敗を喫し、球団ワースト記録を更新。オールスターの時点で首位の巨人から23.5ゲーム差も離されると、8月半ば以降は主砲・豊田泰光がヒジの故障で戦列を離れたこともあり、浮上のきっかけをつかむことなく最下位のまま激動のシーズンを終えた。

絶対的なエースだった金田が抜けた投手陣では、2年目の佐藤進が2年連続の2ケタ勝利となる13勝で勝ち頭に。開幕投手を託された村田が6勝に終わるなど、佐藤以外に10勝した投手はいなかったが、プロ入りから3年間未勝利だった石戸四六が一気に8勝を挙げたのが光った。

打線は6月にセ・リーグタイ記録(当時)の4試合連続本塁打をマークした豊田の戦線離脱もあり、チーム本塁打はリーグ最少の64本と迫力不足。打率も徳武定之が.270で12位に食い込んだのが目立ったぐらいで、6月に阪急からトレードで獲得したかつてのパ・リーグ盗塁王、岡島博治も大きな戦力にはならなかった。

抜本的な改革を目指し、オフには南海を電撃退団した鶴岡一人監督の招聘に動いたが、後任として南海監督に就任した蔭山和夫の急死により、この話はご破算に。結局、飯田徳治ヘッドコーチを新監督に据えて、再出発を期すこととなった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
140
91
47
2
.659
2
中日ドラゴンズ
140
77
59
4
.566
13.0
3
阪神タイガース
140
71
66
3
.518
19.5
4
大洋ホエールズ
140
68
70
2
.493
23.0
5
広島カープ
140
59
77
4
.434
31.0
6
サンケイスワローズ
140
44
91
5
.326
45.5

主なラインナップ(監督:林義一→砂押邦信)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (中)
丸山完二
25
.245
2
16
2 (二)
岡嶋博治
30
.217
2
12
3 (一)
小淵泰輔
30
.246
17
48
4 (遊)
豊田泰光
30
.232
10
22
5 (三)
徳武定之
27
.270
6
44
6 (左)
高林恒夫
27
.234
1
23
7 (右)
福富邦夫
22
.235
2
12
8 (捕)
根来広光
29
.217
8
28
9 (投)
※先発投手
平岩嗣朗
29
.208
1
5
杉本公孝
27
.237
3
15
別部捷夫
25
.237
4
23
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
佐藤進
23
53
13-17
2.62
石戸四六
24
56
8-18
3.05
渋谷誠司
26
56
8-22
3.51
村田元一
27
23
6-11
3.89
巽一
29
43
4-7
3.25
  • 年齢は満年齢


表彰選手
該当者なし

1966年
1月7日
サンケイスワローズの球団呼称を“サンケイアトムズ”に改める。
7月14日
根来広光捕手、対広島14回戦(神宮)で1,000試合出場を達成。
9月10日
岡嶋博治内野手、対巨人25回戦(後楽園)で通算1,000本安打を達成。
10月12日
村田元一投手、対中日27回戦(広島)で100勝を達成。
10月
矢ノ浦国満内野手、高山忠克外野手は、約1ヶ月にわたりシカゴ・ホワイトソックスのフロリダ教育リーグ(サラソタ市)に参加。

新体制2年目で「サンケイアトムズ」に改称
手塚治虫氏原作の人気アニメ『鉄腕アトム』の主人公をキャラクターに採用し、新たに球団名を「サンケイアトムズ」と改称。国鉄時代も含め、球団史上初めての外国人選手(日系2世を除く)となるジャクソンを獲得し、4月28日には貯金を作るなど、飯田徳治新監督のもとでまずまずのスタートを切った。

特に巨人に対しては、5年目の鈴木皖武が開幕から4連勝するなど善戦。9月1日までは対戦成績11勝11敗2分けと、セ・リーグ連覇の王者を相手に五分の戦いを見せた。しかし、球宴後の13試合で2勝11敗と大きく負け越したのが響き、後半戦はほぼ一貫して最下位。5位の大洋が全日程を終了した時点では、4試合を残して1ゲーム差をつけられていたが、これを3勝1敗で乗り切ってなんとか単独最下位を免れた。

投手陣では、プロ入り以来3年連続の2ケタ勝利となる12勝を挙げた佐藤進を筆頭に、石戸四六(11勝)、村田元一と球団3年ぶりの「2ケタ勝利トリオ」が誕生。村田はシーズン最終戦の中日戦で、金田正一(当時巨人)に次いでチーム史上2人目の通算100勝を達成した。また、巨人から5勝して「巨人キラー」と呼ばれた鈴木も自己最多の8勝をマークし、防御率2.33でリーグ7位にランクイン。この4人に続く存在がいなかったものの、チーム防御率はリーグ4位と健闘した。

一方で、打線は新外国人のジャクソンがチーム最多の20本塁打と気を吐き、チームの顔とも言える存在の徳武定之(15本)、移籍3年目の小淵泰輔(10本)、そして開幕前に近鉄から加入したばかりの矢ノ浦国満(10本)と計4人の選手が2ケタ本塁打をマーク。しかし、打率は.249でリーグ19位の徳武が最高で、ほかに打撃30傑に入ったのは5年目の丸山完二(25位=打率.228)と矢ノ浦(26位=打率.225)しかいなかった。復活が期待された豊田泰光も前半戦の24試合に出場しただけで、7月からは再び戦列を離れるなど、チーム打率.214、得点364はいずれもリーグワーストという貧打ぶりだった。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
134
89
41
4
.685
2
中日ドラゴンズ
132
76
54
2
.585
13.0
3
阪神タイガース
135
64
66
5
.492
25.0
4
広島カープ
136
57
73
6
.438
32.0
5
大洋ホエールズ
130
52
78
0
.400
37.0
5
サンケイアトムズ
135
52
78
5
.400
37.0

主なラインナップ(監督:飯田徳治)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (左)
丸山完二
26
.228
4
19
2 (中)
福富邦夫
23
.213
3
15
3 (遊)
矢ノ浦国満
25
.225
10
37
4 (右)
ジャクソン
31
.254
20
43
5 (三)
徳武定之
28
.249
15
55
6 (二)
岡嶋博治
31
.207
5
21
7 (一)
小淵泰輔
31
.274
10
27
8 (捕)
岡本凱孝
26
.208
2
21
9 (投)
※先発投手
根来広光
30
.097
0
3
東条文博
22
.207
0
4
高山忠克
22
.245
8
28
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
佐藤進
24
39
12-18
2.60
石戸四六
25
50
11-11
3.17
村田元一
28
39
11-12
3.14
鈴木皖武
25
62
8-9
2.33
石岡康三
25
33
4-4
2.13
  • 年齢は満年齢


表彰選手
該当者なし



1967年
6月24日
豊田泰光内野手、対大洋11回戦(神宮)で250号本塁打を達成。

新人王・武上と両外国人の活躍光る
前年のドラフトで1次、2次合わせて総勢16人を指名し、うち武上四郎(河合楽器)、浅野啓司(福山電波工高)、加藤俊夫(日本軽金属)ら6選手と契約。さらにドラフト外で3名の新人を獲得したほか、西鉄の正三塁手だった城戸則文、東映、近鉄でオールスター出場計4回の山本八郎、新外国人のロバーツらを加えるなど、充実した補強でサンケイ球団3年目のシーズンに臨んだ。

前年に続いて開幕スタメンに名を連ねたのはジャクソンと豊田泰光のみというフレッシュな顔ぶれで阪神とのオープニングゲームを迎えたものの、この試合を2対7で落とすと、主砲ジャクソンの故障離脱などもあって4月はなんと2勝13敗。11日の広島戦ではスタメンから外れた徳武定之に最後まで出場機会が訪れず、入団以来の連続出場記録が821試合でストップするという“事件”もあった。

しかし、5月23日に飯田徳治監督が休養を発表し、中原宏ヘッドコーチが監督代行として後を継ぐと、ここから8年ぶりの9連勝をマーク。これで4位に浮上し、6月上旬には借金を完済した。その後も4位の座をキープしたまま夏場に入ったが、就任後に16勝12敗1分けとチームを立て直した中原代行に代わり、7月5日から飯田監督が復帰。すると8月、9月と連続で負け越し、結局は前年と同じ5位でシーズンを終えた(前年は同率5位)。

チームとしては期待どおりの成績を残すことはできなかったが、選手個々の活躍は光った。ルーキーの武上は10月10日の大洋戦で左ヒザを負傷し、その後の出場は不可能となったものの、リーグ6位の打率.299で球団史上2人目の新人王を獲得。主砲のジャクソンが28本塁打を打てば、新加入のロバーツも負けじと28本のアーチを架け、チーム本塁打120本の球団新記録樹立の立役者になった。

投げては石戸四六が自己最多の12勝を挙げて、チームの勝ち頭に。佐藤進も10勝で、プロ入り以来4年連続の2ケタ勝利を記録した。ルーキーでは浅野が高卒ながら50試合に登板して8勝10敗、リーグ13位の防御率2.76と気を吐いた。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
134
84
46
4
.646
2
中日ドラゴンズ
134
72
58
4
.554
12.0
3
阪神タイガース
136
70
60
6
.538
14.0
4
大洋ホエールズ
135
59
71
5
.454
25.0
5
サンケイアトムズ
135
58
72
5
.446
26.0
6
広島カープ
138
47
83
8
.362
37.0

主なラインナップ(監督:飯田徳治→中原宏→飯田徳治)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (二)
武上四郎
26
.299
3
27
2 (遊)
矢ノ浦国満
26
.229
4
31
3 (右)
ロバーツ
34
.270
28
89
4 (中)
ジャクソン
32
.296
28
79
5 (一)
豊田泰光
32
.246
9
36
6 (三)
城戸則文
28
.249
5
25
7 (左)
丸山完二
27
.245
4
26
8 (捕)
岡本凱孝
27
.250
6
30
9 (投)
※先発投手
徳武定之
29
.259
6
19
小淵泰輔
32
.254
12
29
高山忠克
23
.249
7
23
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
石戸四六
26
51
12-18
3.73
佐藤進
25
37
10-14
3.82
鈴木皖武
26
53
8-5
3.63
浅野啓司
18
50
8-10
2.76
村田元一
29
33
8-12
4.01
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
最優秀新人
武上四郎


1968年
1月28日
横須賀市にサンケイアトムズの武山球場が完成。
5月26日
対広島10回戦(神宮)延長戦の末広島を1-0で降し、1950年球団結成以来、通算1,000勝目を飾る。
10月12日
石戸四六投手、対広島27回戦(川崎)で完投勝ち、金田正一投手に次ぐ2人目の20勝投手になる。

石戸が20勝! 勝率5割まであと一歩
南海、巨人で通算310勝を挙げ、引退後は巨人、大洋でコーチを務めた別所毅彦を新監督に迎え、豊田泰光が選手兼任で打撃コーチに就任。入団以来、チームの顔とも言える存在だった徳武定之を中日に放出し、見返りに2ケタ勝利3度の河村保彦を獲得するトレードも敢行した。

春季キャンプは完成したばかりの横須賀市・武山球場で行ったものの、大雪に見舞われる前途多難なスタート。シーズンに入っても開幕戦をサヨナラ負けで落とすと、4月14日からは7連敗を喫するなど、5月下旬まで低迷が続いた。ところが5月26日の広島戦で、延長14回の末に1対0でサヨナラ勝ちして球団通算1000勝を飾ると、ここから7連勝。一気に3位まで上昇した。

その後はいったん5位まで落ちたものの、6月を13勝11敗で乗り切り、7月初旬には3位に返り咲き。前半戦は好調だった広島の失速もあって、8月4日には2位に躍り出た。直後の直接対決で広島に負け越してその座は明け渡したが、11日から5連勝、24、25日の中日戦では豊田が史上初の2試合連続代打サヨナラ本塁打を放つなど、Aクラス死守に執念を燃やした。しかし、9月4日からの6連敗(1分け挟む)で4位に転落すると、再び浮上する力は残されていなかった。

それでも球団史上2度目の勝率5割にあと一歩まで迫ったのは、善戦と言っていい。投げては3年連続2ケタ勝利の石戸四六が、最終戦の広島戦で球団史上2人目の20勝を達成。石岡康三も入団5年目にして自己最多の10勝を挙げた。移籍の河村は最後に3連敗して惜しくも2ケタ勝利には届かなかったものの、防御率2.42はリーグ5位。石戸、石岡も防御率10傑入りを果たすなど、チーム全体でも防御率リーグ3位と健闘した。

打線では主砲として期待されたジャクソンが故障で精彩を欠いたものの、来日2年目のロバーツが40本塁打、94打点でいずれも球団記録を更新。福富邦夫は入団4年目で初の規定打席に到達し、リーグ7位の打率.292をマークした。前年の新人王・武上も、打率.283で同12位に食い込んでいる。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
134
77
53
4
.592
2
阪神タイガース
133
72
58
3
.554
5.0
3
広島東洋カープ
134
68
62
4
.523
9.0
4
サンケイアトムズ
134
64
66
4
.492
13.0
5
大洋ホエールズ
133
59
71
3
.454
18.0
6
中日ドラゴンズ
134
50
80
4
.385
27.0

主なラインナップ(監督:別所毅彦)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (左)
高山忠克
24
.235
14
38
2 (三)
丸山完二
28
.249
6
30
3 (二)
武上四郎
27
.283
4
30
4 (一)
ロバーツ
35
.296
40
94
5 (中)
ジャクソン
33
.219
20
59
6 (捕)
加藤俊夫
20
.205
11
30
7 (右)
福富邦夫
25
.292
10
41
8 (遊)
城戸則文
29
.257
6
41
9 (投)
※先発投手
別部捷夫
28
.224
4
13
小淵泰輔
33
.217
3
18
赤井喜代次
24
.209
1
8
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
石戸四六
27
54
20-14
2.84
石岡康三
27
46
10-10
2.67
河村保彦
28
40
9-7
2.42
村田元一
30
36
8-5
3.09
巽一
32
26
5-7
5.75
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
ベストナイン(外野手)
ロバーツ(初)

1969年
3月24日
アトムズのオーナーに松園尚巳氏(ヤクルト本社専務取締役)が就任。
5月11日
小渕泰輔内野手、対広島5回戦(広島)で1,000試合出場を達成(プロ138人目)
8月3日
新外国人ボブ・チャンス内野手入団。初試合に2ホーマーするなど24試合で12ホーマーして話題を呼んだ。
9月18日
ロバーツ外野手、対阪神23回戦(甲子園)で3ホーマーし、355試合で100号本塁打(外国人4人目)をマークし、外国人選手“スピード新記録”を達成。

ジャクソン急死、代役チャンスが起爆剤に
開幕前にヤクルト本社専務取締役の松園尚巳氏がオーナーに就任。球団名から「サンケイ」の文字が消え、ニックネームの「アトムズ」のみとなった。ドラフトで藤原真(鐘紡)、安木祥二(クラレ岡山)といった即戦力ルーキー、トレードでは巨人から高倉照幸、阪神から西園寺昭夫と実績あるベテランを獲得したが、来日3年で68本塁打のジャクソンがオープン戦中に倒れ、戦線離脱を余儀なくされたのが痛かった。

巨人との開幕戦は、ルーキー藤原の好リリーフもあって4対3で逆転勝利。4月は7勝7敗1分けと、滑り出しは悪くなかった。だが、5月6日からの6連敗で最下位に転落すると、同月下旬には衝撃的なニュースが飛び込んできた。オープン戦で病に倒れて入院していたジャクソンが、33歳の若さでこの世を去ったのである。これで意気消沈したのか、5月31日から今度は5連敗と低迷が続いた。

主砲ロバーツは好調だったが、打力不足を痛感した球団は新外国人の獲得に乗り出した。そして7月末に来日したチャンスが、打線の起爆剤となった。8月3日の対大洋ダブルヘッダーで2本の本塁打を放つと、27日までの24試合で12ホーマー。この間、チームも14勝9敗1分けと持ち直した。しかし、9月2日に勝率5割に到達して3位に浮上したのもつかの間、ロバーツのケガが響いてズルズルと5位まで後退。その後は浮かび上がることはなかった。

一時は打撃3部門でトップに立ったロバーツは、タイトルこそ逃したものの打率.320、37本塁打はともにリーグ2位、95打点は同3位。チャンスは最終的に出場55試合で打率.320、16本塁打と、翌年に期待を抱かせた。また、リーグ最多の33二塁打を記録した福富邦夫が打率.281で2年連続の10傑入りを果たし、東条文博も規定打席未満ながら打率.320をマークするなど、チーム打率は巨人に次いでリーグ2位となった。

投手では石戸がチーム最多の16勝。石岡も2年連続で10勝をマークし、浅野は2ケタ勝利にはあと1つ届かなかったが、防御率2.64でリーグ8位に食い込んだ。さらにルーキーの藤原も9勝、前年途中で入団してきた松岡弘も8勝するなど、今後の飛躍を予感させた。

セ・リーグ順位表

順位
チーム
試合
勝率
ゲーム差
1
読売ジャイアンツ
130
73
51
6
.589
2
阪神タイガース
130
68
59
3
.535
6.5
3
大洋ホエールズ
130
61
61
8
.500
11.0
4
中日ドラゴンズ
130
59
65
6
.476
14.0
5
アトムズ
130
58
69
3
.457
16.5
6
広島東洋カープ
130
56
70
4
.444
18.0

主なラインナップ(監督:別所毅彦)

打順 守備
選手名
年齢
打率
本塁打
打点
1 (中)
福富邦夫
26
.281
10
40
2 (遊)
東条文博
25
.320
3
17
3 (左)
ロバーツ
36
.318
37
95
4 (一)
チャンス
29
.320
16
46
5 (右)
小淵泰輔
34
.253
4
21
6 (捕)
加藤俊夫
21
.218
13
41
7 (三)
丸山完二
29
.204
9
18
8 (二)
武上四郎
28
.250
21
53
9 (投)
※先発投手
城戸則文
30
.204
1
20
高山忠克
25
.220
1
9
高倉照幸
35
.224
7
20
打順 守備
選手名
年齢
登板
勝敗
防御率
石戸四六
28
43
16-13
3.48
石岡康三
28
38
10-16
3.62
浅野啓司
20
54
9-6
2.64
藤原真
24
32
9-8
4.63
松岡弘
22
43
8-10
3.70
  • 年齢は満年齢


表彰選手

セ・リーグ表彰
ベストナイン(外野手)
ロバーツ(2回)